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中西麻耶の事故とはどこで起きた?シングルマザーで娘の名前は「サラ」

12月1日に放送されるTBS系番組「情熱大陸」に中西麻耶さんが出演されます。

今回の記事では中西麻耶さんについてまとめてみました。

 

 

 

 

 

中西麻耶の事故とはどこで起きた?

 

 

中西麻耶 プロフィール

生年月日:1985年6月3日 (34歳)

出生地:大阪府大阪市福島区

出身地:大分県由布市庄内町

 

中西麻耶さんは義足の陸上競技選手です。

北京パラリンピック、ロンドンパラリンピック、リオデジャネイロパラリンピックに日本代表として出場しました。

 

2017年シーズンまでは陸上競技障害暮らしT44、2018年シーズンからは新設された陸上競技障害クラスT64 (競技に義足を装着して出場する競技者) としてクラス分けされています。

 

クラス分けとは?

障がいには、さまざまな種類や程度があり、それらが競技結果に影響しないよう同程度の障がいで競技グループを形成することを「クラス分け/Classification」と呼んでいる。

 

大分県別府市にある明豊高等学校に在学中はソフトテニスの選手として全国高等学校総合体育大会 (インターハイ) 及び国民体育大会に出場、2004年3月に高校を卒業した後は2008年に地元で開催される「チャレンジ!おおいた国体」への出場を目指していました。

大学進学は諦めて高校卒業後はアルバイト生活を経て建設会社に就職、働きながら競技を続けていたのですが、勤務中に工事現場で鉄骨の下敷きとなり、右足の膝から下を切断

 

21歳という若さでしたが、中西麻耶さんにとっては肉離れや怪我といった「スポーツ障害」でしかなかったといい、テニスをしたいから切断を選択したくらいだといいます。

実際に手術後、貧血がおさまってからすぐにラケットを持ったというのですから、テニスに対する思いはなみなみたいていのものではなかったのですね。

 

入院中もずっとテニスに復帰するためにリハビリを続けていましたが、当時はまだ義足が合わず術後十分に時間がたっていなかったことから切断面に痛みが走り、思うように動けなかったといいます。

必死になって練習に参加しましたが、試合形式の練習になったときに甘い場所に打ってしまったボールの返球が明らかに打ちやすいところに返ってきたときにこのチームにおいてもらうのはちょっと違うのではないかと感じるようになったそうです。

 

夢としていた大分国体まで時間がない…「まずは走れるようにならなければ…」との想いで義足のスポーツを探し、陸上をはじめたのが転機となりました。

2007年に出場した初めての日本選手権では100メートル、200メートル日本新記録を樹立し、2008年北京オリンピックでは2種目で決勝に進出する快挙をみせました。

 

そして迎えた2008年大分国体の年、テニス選手として国体で優勝する夢は叶いませんでしたが、同じ競技場で開催された「全国障碍者スポーツ大会」で陸上選手として出場し、走り幅跳びと100メートルで優勝を成し遂げたのです!

ですが、輝かしい記録を樹立する一方で義足を上手くあやつれずもどかしい思いをしたこともあったのだとか。

 

それでもめげずに必死で練習してきたからこそ、すばらしい記録を樹立することができるのですね!

かっこいいです!

 

 

 

中西麻耶 シングルマザーで娘の名前は「サラ」

 

 

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今日の控え室での一コマ。 娘と初仕事♫娘も良く頑張ったくれました😊❤️

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とっても努力家の中西麻耶さんを癒している娘さんがいます。

それは愛犬の「サラ」ちゃん

 

中西麻耶さんのインスタグラムには愛娘との写真がたくさん投稿されています。

とても元気で川遊びで中西麻耶さんの洋服を泥んこにしたり

 

 

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あぁ〜夏休み🍉 「遊んだ❤️」 ママは服がおかげで泥んこですが、娘は川で遊べて大満足でした♫

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夢の旅行ができなくなり、不機嫌になったり、人間のように表情豊かなサラちゃん。

中西麻耶さんもメロメロのようです。

 

 

かわいい娘さんからパワーをもらって、ますます活躍されることを楽しみにしています!